【代表日記】2024/03/25 能登半島沖地震84日目 志賀町
ワンオペの予定だったが、午後から、小松くんがきてくれました。
午前中は一人で現調にまわって、昼から、水道管補修のあと、
16:00ごろに、午前中に別団体にブロック塀除去してもらったお宅へ。
この日の朝、最初に現調にいったお宅。
「仏壇が潰れてて…写真を出したい」と語る家主さん。
「親の写真がない。どんな形でもいいから、写真がほしい」
「この部屋に…ええと、なんていったらいいかな。家族…先祖代々の大事なものっていうか…そんなんもあって。自分で見たいんだよね」
口数が少なく、たまに言葉を濁す。具体的なことを言わないが、妙な焦燥感を感じた。
敷地には巨大な重機が鎮座している。
話をきくと、自分でなんとかものを出したくて、解体してみようとリースしてみたものの、使い方も覚束なくて、、とのこと。
現調のあと、なんとなく心配になって、すぐにこの地域に詳しい地元の支援仲間に連絡をした。
旦那さんは早くに奥さんを亡くされていることを、聞いて知った。
事故で、目の前でのことだったそうだ。
ただの貴重品ではない、思い出の品の数々が、崩れた家の下敷きになっているのかもしれない。
本人自身が入って見たい、というのは
他人には任せ切れない、言っても伝えられないと思っている何かがあるのだろうと、察した。
で、家主さんが一人で突っ込んでしまわないか、
やっぱり心配だったから、その日のうちに何かできないかと、他の予定を終わらせて
16:00に小松くんと現場にもどった。
幸い、仏間のあるところは下屋のところの部屋なので、瓦をはがして開口。
進入路確保を行い、少しずつぶっ飛んだ柱をかまして安定化措置を行いながら
ひと区画ずつ捜索する。
なかなか見つからない。
ときどき、家主さんと目印や場所の確認をしていると、家主さんが使えそうなものはないかと、僕らが使っているのと同じ型の充電式の小型チェーンソーを貸してくださって
作業が倍速になった。
17:00をまわったころ、仕事おわりの 富来ヒーローchinmanさんが合流。
僕たちの車があるのを見かけて、立ち寄ってくれたそうだ。
なんとか、お母様の写真2点を見つけ、仏具や座布団、掛け軸など、ほしいといったものも出すだけ出したが
お母様の写真の隣にあったはずの他の写真が見つからず
どうやら2Fの真下にあるようだった。
2Fの天井と、1Fの床との隙間は、30cm程度しかない。
2Fの床はかなり傾いている状態で、安全に作業するには、朝から一日集中してやりたいので、
この日はとっぷり日もくれたので、切り上げになった。
家主さんは、少し落ち着いてみえた。
「もう、皆さんに任せます。重機で触るのはやめるよ」
知人との電話では「ほんとうにすごい」と、喜んでくださっている様子だった。
公費解体の時に、解体屋さんに頼めば、貴重品が出てきたら、それは残しておいてくれるけど
必ずしもではないし、それを探し出したり、搬出のための特別な作業をしてくれるのは稀で、基本は「作業中にでてきたら」「この辺にあると言うのを念頭に」という付随作業となることがほとんど。
自分の住んできた家が倒壊してしまったというのに、時折笑顔を見せる家主さんは、なんとか他人の手前、気丈に振る舞っているようにも見えた。
この信頼に応えられるよう、引き続き安全に作業に取り組みたいと思う。