【代表日記】2024/05/05 能登半島沖地震125日目 志賀町
危険家屋からの家財だし、お寺の壁、屋根養生、裏山のクラック部等の整地作業、他。
解体するのに仮設住宅は決まらない。避難所は閉まる。行くあてがない。
そういっていた依頼者さんから「使ってた家財を運び出したい」と連絡があった。
どうやら仮設は決まってないが生活できる場所が他にみつかったようであった。
「公費解体の場合、残置物はそのままで良いんですよ。もちろん、出した方がその分早く進むけど、危ない場合は無理して怪我してもよくないから」と伝えると
「役場も出さなくていいとか、でもそのあと出してくれって言われたり、話がコロコロ変わるし、出してなくて役場に小言を言われるより、もう出すってしたほうが気楽。
何回も予定変わるし、出す段取りで固めたい」ということだった
変化は悪いことではないがコロコロ変わるのは負担になる。
特に、生活レベルが落ちていると精神的な余裕は少なくなるので、「先の見えない生活」の中で「見えてきた先」をコロコロと変える情報などは本当に悪手。
役場には、どの職員が対応しても方針を統一できるように、改訂情報の周知徹底に努めてほしいのだが、こんな話は3月からで
もうみんな気力がない。
ボランティアの支援リソースは、完全に個々人の善意に依存しており、有限だ。
「行ける回数」「できること」と
現地で「やらなければならないこと」を擦り合わせると
どうしても対応が難しい範囲も出てくる。
それは、寄り添いたくても寄り添えないし
きっと被災者を傷つけている
その自覚はある
事情を説明されれば、対応するようにはしています
それでも、やれることは、本当に限られている
本当は帰還や用事があったのに、AMだけと、時間の限り残ってくれたボランティアさん方の尽力。
この日も暑かった。お疲れ様でした。
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